ぶどう・りんご君の日記

新規就農に奮闘中

田植えの準備が始まりました

今年、人生で初めて田植えの準備に取り組んでいます。まずは、種もみの選別です。塩

 

水につけて浮いたものを取り除きます。

 

死海のように塩分濃度が濃いと浮力が大きくなる原理の利用です。実際に読書するのは大変なようです。

 

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塩水に通します

 

次に塩水に浸かったので水で洗います。ゴミもついでに落とす効果があるのでしょう。

 

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水で洗います

 

そして、洗った種もみを網袋につめます。

 

 

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種もみを袋につめます

 

最後は、大きなタンクに消毒剤を溶かして網袋を投入して24時間浸けます。

 

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消毒薬に24時間つけます

 

次の日に、タンクの液を抜き、水をいれてしばらく保管しておきます。定期的に水を交換しながら発芽を待ちます。

 

積算温度は温度×日数です。稲は100度。水温が10度なら10日間で発芽です。

 

15度なら7日で積算温度に達します。

 

稲作は重労働なイメージがありましたが、思ったほどでもなく楽しい作業でした。

晴耕雨読

五所川原は昨日、今日と雪です。冬に逆戻り。

 

こんな日は読書してます。

 

以前、レイチェル・カールソン著『沈黙の春』を読みました。

 

世界的にとても有名なロングセラーです。私が生まれる10年も前に初版が出版されています。半世紀以上前ですが、あまり古びた感じがしません。

 

内容を要約すると、殺虫剤や農薬によって害虫を駆除することを人間は考え実行しましたが、益虫まで殺してしまい、あるいは、それらの虫を餌にしていた魚や鳥も蓄積毒によってやられてしまいます。あるいは耐性をつけて駆除どころが大発生したりします。

 

自然界には害虫も益虫もありません。人間が勝手に決めつけていることです。殺虫剤や農薬によって、食物連鎖を破壊してしまうことで自然界のバランスを崩してしまうことが問題です。土も水も空気も汚れ、人間まで被害を受けています。

 

青森の農業に置き換えてみれば、確かに昔のリンゴ農家は農薬で皮膚がかぶれたり、体調を崩したりしていた話は聞いたことがありますが、現在はそんなことはありません。

 

有名な木村秋則さんも奥さんの体調不良から無農薬栽培に挑戦することになったのですから。

 

私の働くリンゴ園では、最近は鳥がリンゴをつつくようになっています。毒性が落ちたから鳥が食べるのです。

 

じゃあ、昔はどんなものを食わされていたのかという話になりそうです。実際、現代でも農薬によって虫一匹もつかない野菜を買って私たちは食べています。

 

虫、穴の開いた葉、曲がったきゅうり、泥だらけの野菜、こんなものを買いたいと思わないから生産者、販売者は消費者の意向に合う努力をした結果です。

 

農薬が全て悪いとは思いません。

 

例えば、無農薬有機栽培のタバコの葉は健康によいのでしょうか?

 

自然栽培の毒キノコ。食べたら健康によいのでしょうか?

 

人間にとって害があるかないかの問題であり、栽培法の問題ではありません。

 

私の亡き母は生前は人工透析患者でした。医者からはグレープフルーツは食べてはいけないと言われていました。

 

一般的感覚としては、果物は体によく、摂ることがよいと考えられています。

 

私が子供の頃「朝の果物は金、昼の果物は銀だよ」と言って、私に果物を食べさせようとしていた母が、病気のため、健康によいはずの果物を食べてはいけない?

 

なぜならグレープフルーツにはカリウムがたくさん含まれていて、透析患者はカリウムによって不整脈が起こり死に至ることがあるからです。

 

健康によいはずの果物に含まれるカリウムが人体内での化学反応によって健康にマイナスとなるのです。

 

有機栽培の葉タバコ、自然栽培の毒キノコと同じです。

 

こんなことから、自然栽培、有機栽培に過度にのめりこむのはやめようと考えました。

 

まずは、慣行栽培という、ごく普通の化学肥料や農薬を用いた栽培法をマスターしてから、徐々に面積を拡大しながら、有機栽培、自然栽培に挑戦していくのがリスクのない方法だと気づきました。

 

私たち新規就農者は、まずは生活基盤を築かなくてはなりません。妻と子供がいます。何十年、何百年と続いてきた既存農家さんとは基盤が違います。

 

しかしながら、時代が求めている農業に挑戦したい気持ちがあります。

 

現実と理想を天秤にかけながら、いろいろなことを吸収していく毎日です。

津軽の地にも春がやってきました。

 

とはいうものの、まだ一部に雪が残る中、排水路の泥上げを初めて経験しました。

 

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排水路の泥上げ

田んぼのあぜに泥を上げていきます。本当は平らにならしておくべきですが素人まるだしです。

 

重かったです。徐々に筋肉に効いてきます。次の日は筋肉痛です。

 

こんな作業もあってお米が生産されていきます。

 

農業の世界もIT、AIなどのコンピューター技術を始め、ドローンなどの技術も入ってくると思いますが、この泥上げはロボットがしてくれるようになるのでしょうか。

 

機械化すればするほど固定経費と修理費が増えることでしょう。

 

農業系の本を読んでみると、規模拡大による量産効果が大きい訳ではありません。

 

新規参入するべきなものかどうか、今のところ、稲作に関して私は慎重です。

 

でも、いい経験ができました。

春の気配

北国青森も雪がだいぶ融け、春の気配が感じられる頃となりました。

 

3月からは田植えの準備で米農家さんにアルバイトに行っています。

 

津軽の農業は長年、米とりんごが中心でした。これから新規就農するにあたり、やはり米とりんごは経験しておいたほうがよいと判断しました。

 

昨年の秋以来、つがる市で20haほど栽培する米農家さんのお世話になっています。

 

私のご先祖様もつがる市で農業を営んでいました。曾祖父が分家を許され私で4代目。

 

本家は今でも農業を続けています。

 

我が家は約半世紀の街の生活から農業へ逆戻りします。

 

街から田畑に通います。村には戻りません。

 

これも新規就農の一つの形だと思います。

 

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雪の消えた田んぼの様子

 

最初の記事

昨年の4月より青森にて新規就農に挑戦中です。

 

男性。40代後半。

 

娘1人。妻1人(2人いたら問題です)。

 

春から秋まではリンゴ園。秋からは米農家で精米等を経験しました。

 

前職は学習塾経営。父の始めた塾を継ぎ創立42年で自主的廃業しました。

 

少子高齢化はもちろん、過疎化の進行は事業意欲を無くしました。

 

昭和から平成初期は正直儲かりました。私たち兄弟も育ててもらいました。

 

私が継いだ平成14年以降は、借金を返し、税金を払い、給料を払い、取引先に払い、自分の手元にはお金はあまり来ませんでしたね。

 

田舎は、高校卒業時で同級生が激減します。都会へ進学か就職。そんな地域は人口が減るに決まってます。ババを引きました。

 

だから都会でサラリーマンしてたらよかっただろう!と突っ込みが入りそうです。

 

では、これからどうやって生活していこうか?

 

御先祖様は農家。私が生まれた昭和47年までは地域で最初のスイカ農家だったと聞いて育ちました。

 

青森県つがる市の屏風山スイカ、メロンは一定の評価をいただくようになりました。

 

もっとも私は五所川原市の商店街で両親が喫茶店経営を始めた頃に生まれ育ちました。

 

学生時代に都会に進学しても、社会人となってからも農業は常に心のどこかにありました。

 

祖父母、両親は農業経験がありますが、私は全く経験がありません。

 

農家に戻るのではなく、農業に戻る感覚です。

 

例えば、最近は呉服屋さんのことを商家とは言いません。

 

なのに、なぜ、農業だけは農家なのだろう?

 

我が家が地域で最初のスイカ農家だったように、これからの時代を先取りする新しい農業に取り組んでいきたい風に考えています。

 

ほぼ半世紀ぶりの農業復帰を目指しアルバイトしながら見習い中の記事にお付き合いください。